私たちは愛という物質で出来上がっている。
愛…と一言で言い切ってしまえば、なんだか綺麗ごとでごまかされたような気がする人もいるかもしれない。
しかし愛とはとても複雑であり単純でもあり、透明度の高い美しいものであり汚れたものでもある。
果たしてこの『愛』というものを全て理解し、明確に語れる人がいるのだろうか?
と私は常に思ってしまう。
愛を向ける対象も人によって多種多様である。
自分・または自分以外の誰かに向けた愛だけではなく
例えば郷土に愛を持つ、植物や生き物に愛を持つ。
もっと言えば理念や信念に愛を持つ人もいるだろう。
姿かたちがあるものから、目に見えないものまで…その対象は際限なくあるのだと思う。
また、好意的な気持ちのみが愛というわけでもなく、憎しみや恨みのような感情にも愛は介在している。
つまり私たちは愛で出来ていると言っても、おかしくはないのだ。
全ての思いの根源には愛があり、そこから派生する枝葉のように様々な感情や行動というものが起こっていると、私は考えている。
だとするならば、あなたが今迷っていること。あなたが今不安に思っていること。
その思いの大元には愛があるのだということ。
迷ったり不安を感じることは、きっと自分への愛。
失敗した自分を想定したり、がっかりしている自分を想像して
そんな自分に対して愛の力を向けている。
成功したり喜んでいる自分を自分に与えたい…。
そんな愛が大元にあるのではないだろうか?
そもそも結果を得ることだけが人生ではないはず。
失敗を乗り越えたり次の成功へと努力したりすることの方が、きっと本来求めている人生であり、実ははるかにおもしろい。
そんな自分になれるようにエールを送ることも、実は愛であったりする。
目先の出来事や想定だけを見つめているのではなく、もっと大きな視野で人生を見つめた時には、その時の不安や葛藤・失敗や挫折などは小さな小さな一コマでしかないのだ。
理屈は分かっても、なかなか出来ないのが人間でもある。
しかし理屈が分からないことには、行動にも移れないのだ。
だから理屈を知った今、出来ないと感じてしまった自分を責める必要もないのだ。
徐々にステップを踏もう。いきなり出来なくても、ステップを踏もうと思った時点であなたは既に愛に気付き、成長している。
Comentários