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揺らがぬ心


あなたがあなたらしく生きるということはなにか?


あなたの思い通りに生きる事?

あなたがストレスを感じずに生きられる事?


まずは考えてみてほしい。


あなたがなぜこの世に生きる事を決めたのか?


それは決して上記の様に生きる事を望んだわけではなく、様々な経験を通してあなたの魂を今以上に磨く事が望みだったはず。


そう考えた時に、思いのままの人生を歩み続ける事が果たして磨きになっていくだろうか?


あなたがあなたらしく生きる事とは、揺らがない心を持つ事で得る様々な学びで、魂の成長を遂げる事と等しいのだ。


磨くという行為には、どうしたとしても思い通りにならない事はある。


ましてそこにはあなたの人生の道だけがあるわけではなく、たくさんの縁からなす人生の交差がやってくる。


そこに自分の人生だけを貫こうとすれば、やはりその代償を負うことになるだろう。


時に周りの意見や思いに耳を傾け、自分の人生の軌道が逸脱してはいないかを知るべきだし、


大きな風潮の流れに抗ってでも貫かなくてはならない時もある。


そうして精一杯、自分の心に嘘をつかずに生きる事こそが、自分らしく生きるという事であり、揺らがない心を持つ事だ。


感情のままに生きる事と勘違いをしてはいけないのだという事なのだ。


とかくスピリチュアルが叫ばれてからの昨今は、

嫌な事はやらなくてよい。

やりたい事を優先すればよい。

というような考え方が横行している。


社会を形成している以上は、そんな風には生きれるはずがないのである。


ではどうしたらいいか?


我慢という観点ではなく、それをクリア出来るように努力し働く事を目指せばいい。


もっと言うならば、

クリア出来るように努力するその部分にこそ、楽しみを見いだせるようにすればいいのだ。


私が戦国時代を代表する過去に生きた人々に着目し、そこに繋がる事で学びを得るのは、既に事の顛末まで分かっているから伝えやすいという事もある。


例えば天下統一の目前にまで上り詰めつつも、寂しい生涯を終えた豊臣秀吉公はどうだろうか?


思いのままの人生を歩んだかに見えて、力で組み伏せた者たちへの疑いの心を払拭出来なかった彼が、本当の意味で幸せを感じたかは分からない。


そんな秀吉公に忠義を果たすことを選んだ石田三成や大谷吉継…更には真田幸村はどうだろうか?


自身の思いを貫く事の代償に命を落とす結果になった事が、本当の意味で可哀想な顛末とは限らない。


つまりどこに正解を導くかは、本人次第という事でしかないのだ。


だとするならば、自分に正直に生きるために揺らがない心を持つ事が大切だということにならないだろうか?


あなたの人生の選択はあなた自身が行っていること。


その決断に揺らがずに、事の顛末をどう受け取って行くか?


それこそが、何よりも大切な事なのではないだろうか。




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