私たちの生活するこの三次元の世界は平面ではありません。
それは物質的な部分の話ではなく、この世界に共に存在する精神世界。
つまりスピリチュアリティーな世界でも同様ということです。
本来愛に満ち溢れた世界であるスピリチュアリティーな世界観での三次元とはどういうことなのか?
それはイコール、あなたの愛の深さなのです。
あなたがもしも、まだ自分への自己愛という深層にいたとするならば、
他者を貶めたり悪口を言ったり妬んだり。
はたまた他者の愛の深さにも気付けずに、言葉の真意を汲めなかったり。
そういった事柄の中にあるのだということ。
自分がかわいいばかりでは、スピリチュアリティーな世界観の中での立体構造の上層には入って行けないということです。
誰しももちろん自分が大切で自分を一番に愛しています。
ただこの世界はあなた一人で回っている世界ではないのです。
一片通りに事を見れば、その側面しか見ることは出来ません。
本当に愛の深い人は多方面からその立体化する世界観をも見ることが出来、受け止めることが出来るのです。
前回のSPIIのコラムで妖言(およずれごと)という内容を書きました。
https://www.spiri-tual.jp/single-post/spii/column/maho36
こちらのコラム内では妖言と呼ばれる『根拠もない人を惑わす言葉や噂』を発する人をどうするか?
ということよりも、その事柄を聞かされた人に対してのメッセージをお届けしました。
確かにその言葉や噂に振り回されずにいられたら良いですが、私たちも人である以上当然腹も立ちますし、悲しい思いをする人もいる事でしょう。
例えその内容が自分自身に向けての事柄ではなかったとしても、大切な相手への事柄であったりすれば尚更です。
では妖言を発する人自体はどうしたらよいのか?
内容によっては法的手段を取ることも方法の一つです。
裁判において公平な判断を強いるのもまた、私たち人間が社会というコミュニケーションを介して生活している以上、必要かつ一番分かりやすいものとなるかもしれません。
しかし、感情というものは例え自分にとって有利な結果が出たとしても、そうそう簡単に消化できるものではないのです。
いずれにしてもしこりとして心の奥深くに残ってしまうのは致し方ないと思います。
つまりどんな事柄を提案したところでも、100%納得する答えが見つかる確証はないといえます。
こういった人があなたの目の前に現れる時。
それはあなたへの神々からのメッセージであると考えたほうが、よりスッキリするかと思います。
もしかしたらそれは、あなたを投影する鏡のような事象かもしれません。
自分自身を振り返ってみることも必要なタイミングかもしれません。
もしも全く心当たりがないとするならば、あなたはもうその層にいる必要がないのだというメッセージかもしれません。
目に見えないスピリチュアリティーな階層は、時にこうした揺さぶりの中であなたに上層へと上がるタイミングを知らせてきます。
一見すると悲しく切ない事象であっても、そのような気持ちにならなければあなたはいつまでもそこに居続けようとするかもしれないからです。
次に向かうべき事柄をしっかりとあなたの心に打ち出しましょう。
そこに向けて楽しんで進むことで、あなたの傷ついた心は癒され輝きを取り戻していくことでしょう。
そもそも妖言を発している状態の人をどうにかしようと思うこと自体、人である私たちにとってはおこがましいことでもあります。
それを発することでの自分自身の立場の変容、また心の醜さの部分も理解しなければならないからこそ発しているという場合があるからです。
人は様々な出来事の失敗や成功という両面の観点を経験することから学びを得ます。
その学びが積み重なるとき、人は目に見えないスピリチュアリティーな階層を上がることが出来るのです。
つまりは愛の深まりを立体的に捉えることの出来る目を持つことが出来るのです。
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